日々是認識革命

日々源泉の動きから世を見渡します

新しくステージへ

それはおよそ14年前に遡ります。

当時の私は5年間勤めていた会社を退職して、役者に成る夢を諦めて全くの根なし草になって日々を浪費していました。

これ程までに社会は厳しい所で、私の力ひとつ等何れ程のものか。。
思った様に生きれる人は極僅かだと思い知らされ暗中模索、手掛かりの無い手掛かりだけが目の前に広がっていました。

しかし絶望こそあったけれど、対称的に希望も創造しようと目論むしたたかさも腹にはあり、己を棄てきれずにはいられなかった。
そう、現状を突破して本当に自分が生まれ、生きる意味と価値を存分に味わう事が出来る「使命」と出会いたい。と、頑なに祈り、その出会いに期待をする事で自己存在を保つだけが誇りだったかも知れません。

それから14年後、この経験が今になって私の足を引っ張っている要素であるとは思っていませんでしたが、その本質にあったのは特別な個人だけで道を開く行為が美学であると云う思い込みで、「外から力を借りる事を恥じである」という観念です。

この観念は我を増長させ、周りと連携が取る事が出来ないばかりか、結局同じ結果を繰り返す堂々巡りになってしまいます。
仏教の用語ではこれを「輪廻」とか「カルマ」と呼び、観術では観点固定と規定しています。

真実の自分と出会いながらまた同じ観点に固定されるのは何故か?
同じ観点の方が使いやすく、エネルギー消費も少なく効率が良いからでは無いでしょうか。
そこで頑張って良い結果を残そうとしても、やはり同じ結果になるでしょうし、新しく未来はつくれません。

同じ過ちを繰り返し、此処まで来ました。また設計した場に戻るのか、現在の結果に真実の自分を取り入れてステージをひとつ上げるのか?

今ここ認識革命が始まっています。
真実の自分と我を道具に使い、出会いたかった「使命」そのもの生き方を改めて決断をした2016年7月26日です。