日々是認識革命

日々源泉の動きから世を見渡します

心のメモリ

あらゆる現象は自分が認識して結果である。

その現象の良し悪しは個人の判断基準に基づくが、大事なのは自分がどんな現象をつくりたいのか?

その基礎となる為のメンタルはどうなっているのかが大事だと最近気づきます。

条件や状況によって人のメンタルは変わります。些細なことにでもです。

だからまず、条件や状況に右往左往されない”心”の状態を獲得することが大事で

そこから信念を貫ければ、現実は思った通りの現実になるのではないでしょうか?

心のメモリをゼロに戻して。

自分の殻を打ち破れ!

reiwaphilosophy.com

時々思う「この生き方で良かったのか?」と。

その裏には損得に揺れる感情が見え隠れしていることに気づく。

”効率的”を叩き込まれた現場である程度養ったその感覚はそのまま私の思考の根へと宿ることになる。

が、なまじ自己流なだけに、効率的思考はたまにエラーを起こすことになる。

そしてエラーする自分にいら立ち、焦りから更なるエラーを引き起こす。

結果的に「この生き方で良かったのか?」に帰着する。

だが大前提に全体像が観えない問題が人間にはある。

そして資本主義と云う漠然とした社会システムに人間の損得を入れてしまえば行き詰まるのは当然だと思う。

 

それを打破するにはどうすれば良いのか?

 

11月23日にその答えを見出して欲しい。

 

 

 

 

芸術と私 3

入口こそには立てましたが、芸術作品に対しての解析を自ら出来ることは不可能で

三者の解析をまず覚えるのが精一杯でした。

明確な理解に行けなかったのは自分の考えの筋道が精密に整備されていなかったからでしょう。

何をどの様に観て、どう結論に結びつけるのか?

芸術を追求する上でも、この人生を歩む上でもそれこそを学ぶことだったと思い返しています。

例え読書量を増やしたとしても、先人の話を聞いたとしても、自分の中で図る判断基準が明確に無ければ、覚えることは出来ても理解までには至らない。

そして知識にならない。

知識と知識が出会い、融合してクリエイティビティが生まれるのですが、まだその状態に至らなかった。

これは本質を追求するにあたりとても弊害だったと思います。

それにさせ気づいていなかったのですから、如何に問題意識を持つのかが大切だったかを改めて痛感しています。

 

ここで少し整理します。

 

●覚えることは主観的に記憶に依存していつでも出したり、収めたりが出来る状態。

●理解は対象へ向けて記憶した内容を表現と伝達が出来て、共有と共感が出来る状態。

●知識はこれらが出来た状態で生き方に応用が可能。

 

しかし判断基準が無いからある意味で柔軟に受け取ろうとする姿勢がありましたから

偏見の塊にはならず、様々な分野の芸術に触れる出会いをしていました。

 

 

 

 

芸術と私 2

だから元来、芸術作品とは鑑賞の楽しみとその製作者の意図やバックグランドを理解する楽しみがあるのだと思います。
それらを理解して自らの言葉で語れた時の高揚感は何も代え難いものはあると思います。
理性を持ち合わせている人間ならではの戯れなのかも知れませんが。
そういった分けで、いわゆる知的な存在に憧れていたのもあり、和洋様々な芸術作品に触れる機会を増やしてはその深淵へとアプローチする楽しみを覚え、インテリジェントの入り口に立った気でいました。
 

芸術と私 1

芸術とは何か?

その本質を見つけ出すよりかは、芸術作品を通して人間の本質を探ろうとしていた時期が私はありました。

そして本質を理解したのなら、私が何故生まれて来たのかが分かるだろうと漠然として期待を持っていました。

芸ごとを突き詰めて、極めたその先には万物に共通したなにかしらの普遍性がある。

その境地へいつかは辿り着き、人生の本質を見極め自分の使命と出会いたい。そんな思いで溢れていました。

今思えば日常の雑念から解放されたかったのかも知れません。

 

 

「私と宇宙世紀」1

やってみたいなぁと思っていたけどなかなか手がつかなかったことに、これから少しづつチャレンジしていきたいと思います。

その第一弾が「私と宇宙世紀

ええそうです、あの宇宙世紀を今一度振り返りたいと思います。

 

私と宇宙世紀との出会いは、もちろんアニメが先でした。

ロボットものは兎角子供の心を掴みやすい。

しかしあのロボットは、平和目的に開発された機械ではなく、

モビルスーツの白兵戦において、もちろんパイロットが死ぬ描写もある中で、

そこは全く関心がなく、ロボットのカッコ良さばかりに目を奪わられる子供の心理が長く続いていくわけです。

 

そう、小説版を読む前までは。

 

そもそも読書が好きではなかった私にとって、小説版はとかく衝撃的な出会いでした。

読むきっかけは、新しいことにどんどんチャレンジしようと決めていた時だったので

苦手なことも少しづつ進めて何か得られるかもという漠然とした期待はありました。

 

その結果、新しい感覚を手にいれたとでも云うのでしょうか、全く未知の世界がそこには広がっていて、

知らない単語は辞書で調べて覚えたり、難しい表現は何度も読み返して理解にたどりついたり、稚拙だった読解力がドンと伸びましたね。

加えて文章を書くのも好きになり、ちょっと背伸びをした文章を書いたり、読んだりすることを好むようになりました。

 

瞬く間に8月が過ぎ、秋の訪れを待ち望む9月に入りました。

例年には無い猛暑でった今夏。いまもまだまだ暑いですね。

また台風10号の爪痕が残るなか、被災された方々には心よりお見舞いもうしあげます。

早急な復旧からはやく日常生活に戻られるのをお祈りいたします。

 

しかし猛暑もさることながら、今夏は様々な出来事でいっぱいでしたね。

夏の甲子園中止から75年目の終戦記念、安部首相辞任表明。。

2020年は年初から激動となる見通しが占星術やさまざまな方面からありましたが、まさにその通りとなっています。

 

そしてコロナ禍以降の世界はどうなるのか?またどのように向き合えばよいのか?

世界では明確な答えが出ていません。

11月にはアメリカ大統領選もあり、年末に向けて世界で波乱がありそうな予感。

 

世の中の動向を静観しつつも、次の一手を先に出しておく必要があります。

激動な変化に対応しているだけでは、大きな波に飲まれ、浮き出すことは極めて困難だからです。

 

その一手が何かを発見するのも容易ではありませんが、

私は哲学にその可能性を見出しています。

 

哲学についてはまた後日投稿したいと思いますが、日本で哲学が主流になることは

まずありません。日本の海がそれを欲してはいない。

むしろ即物的な回答を探してはいます。

 

ですが、一歩引いた観点で事象を捉えて何をするべきかを開発していかなければ

未来はつくれないと思います。

 

また個人個人の発信も大切になってきます。

 

今回はこのあたりで終わらせ、次回また投稿します。

 

お読み下さりありがとうございました。